鉄鋼材料に水素が侵入するとその強度と延性(1)が劣化する現象は、「水素脆化」として百年以上も前から知られてきました。近未来の普及が期待される水素エネルギー機器(2)では、多くの構造部品が過酷な高圧水素ガス環境下で使用されるため、水素に曝された状態でも卓越した力学性能を発揮できる鋼材の開発は、安全・安心な水素社会実現のために避けては通れない課題です。
水素脆化は、材料中に潜むミクロな格子欠陥(3)の性質や結晶構造の安定性などに水素が多様な影響を及ぼし、それらの負の側面が優先して現出することで発生します。一方、九州大学大学院工学研究院機械工学部門の小川祐平助教、細井日向大学院生、松永久生教授、髙桑脩准教授、津﨑兼彰名誉教授らは、水素侵入に伴い生じる材料物性変化の一部を有効利用し、鉄鋼の強度と延性双方の大幅な向上を図るという前例のない研究に取り組みました。合金成分量を最適化したFe-Cr-Ni鋼(現行の水素エネルギー機器の主要構成材料に類似)に対し、高温・高圧水素ガス曝露(4)により高濃度の水素を添加した後に引張試験(5)を行うことで、引張強度 × 伸びの指標で30%、破断応力にして50%もの向上を達成することに成功しました。またその発現要因は、水素が①転位(6)と呼ばれる格子欠陥の移動に対する障害物の役割を果たすことと、②双晶変形(7)を促進して結晶方位差の大きい内部界面を次々に生み出すことにあり、これらの効果①②の重畳によって材料の変形抵抗と加工硬化(8)性能が広いひずみ範囲に渡り維持されることを解明しました。
以上の成果は「鉄鋼材料は水素により脆化する」という従来の固定観念を根底から覆すものであり、この先の耐水素構造用材料の開発にも新たな風を吹き込むものと期待されます。