生物栄養学博士 江蘇旭優生物技術有限会社取締役、社長 |
|
|
|
1960年11月
|
生まれ
|
1986年4月-1989年9月
|
九州大学に留学、生物栄養学博士学位を取得
|
1990年2月-1991年3月
|
中国農業科学院畜牧研究所(北京)助研究員
|
1991年4月-1995年4月
|
OMU乳業株式会社(福岡市)主任研究員
|
1995年5月-2000年9月
|
KIRINビール株式会社(東京都)生産部主任
|
2000年10月-2011年4月
|
YAKULT株式会社(東京都)国際部課長
|
2011年8月-2012年2月
|
蘇州旭優食品科技有限会社(蘇州市)取締役
|
2012年3月から
|
江蘇旭優生物技術有限会社取締役、社長
|
|
|
1、趙先生は中国改革開放の初期に建国後第一期政府派遣留学生として日本に留学に派遣され、10年にわたって日本で大学学士、修士および博士学位を取得、それから、ポスドクとして研究をなさっていましたが、この10年間において困ったことがきっとあっただろうと思いますが、最後まで頑張り抜いた動力は何でしょうか。この十年間の収穫について簡単にご紹介頂けませんか。 建国後第一期政府派遣留学生として、最初の夢は大学を卒業してから帰国して農業部に就職し、母国畜牧業の発展に貢献しようと思っていました。運命に左右され、日本で博士後期課程も修了することになり、その後、また日本に戻って20年間日本企業に就職することになったのです。だが、それに関しては一切後悔していません。現在僕の創業も同じように、人間の人生はすべて運命によって予め決まっていると思っています。 2、昔の留学生によると、そのときの留学生はほとんど、学業を終えてから帰国してきたそうです。趙先生の回想録をご拝読させていただきましたが、建国後第一期日本への留学生の中で趙先生は博士学位を取得後直ちに帰国した留学生の第一人者だったそうですが、そのときそうお決めになった理由は何でしょうか。 当時私たち100名の留日学生の中で、卒業したあと帰国した人、日本に滞在した人、ほかの国(ほとんどがアメリカ)に行った人はそれぞれ三分の一を占めていました。私たちの国費パスポートの有効期間は10年間で、有効期限を越えて帰国しなかったら延期できませんでした。当時僕は帰国に決めたのは留学最初の夢の為でした。しかし、その後、家族のため、主に当時九州大学医学部で博士後期課程修学中の妻が長男を妊娠したため、日本に戻って就職することになったのです。 3、 ニュースによりますと、2013年は史上最悪の就職難とされていますが、どう思われますか。趙先生の今の事業はどうでしょうか。 僕は運の良い人間だとずっと思っています。一年以内同時に蘇州と常州市政府より創業補助金(合計660万元)を受けることができたのも日本から帰国した留学生の中でおそらく僕一人だけのようです。それに日本で30年貯めてきた資金を投入し、現在の会社を設立しましたが、事業はうまく進んでいるといえます。「康楽優」ブランド製品の生きた乳酸菌乳飲料は10月に発売され,売り出しは順調のようです。 4、近年中国政府の国家建設ハイレベル研究生奨学金制度を通じて外国に留学する中国人学生が何千名もいます。例えば、今年の10月に数十名の学生が九大に留学に行く予定です。ご経験により、その学生に学習や生活に関し、アドバイスをお願いできませんか。 今の時代は80年代と大いに違っていると思われますが、僕が留学中の80年代は丁度日中蜜月時代でしたので、留学期間中にできるだけ日本社会に溶けるよう、多くの日本人の友達ができるよう、心がけてまいりました。10年間にわたって日本における政、経,学界の友人が多くできて、現在も家族付き合いの続いています。
|